会社情報
会社概要
- 社名
- 清松総合鐵工株式会社
- 所在地
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〒879-0304 大分県宇佐市大字尾永井470番地の1 アクセスマップはこちら
TEL 0978-32-2176/FAX 0978-32-0573
ホームページ:http://www.kiss.ne.jp
E-mail:info@kiss.ne.jp
- 会社役員
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- 代表取締役社長 清松 芳夫
- 専務取締役 清松 容子
- 常務取締役 清松 芳子
- 設立
- 昭和42年3月28日
- 資本金
- 10,000,000円
- 従業員
- 38名
- 事業内容
-
- 鋼構造物の設計および施工
- 製缶
- 諸機械類の据付解体並びに運搬
- 総合建設業
- 生産高
- 年間約10,000t
- 売上高
- 3,783,307,270円(2020年度実績)
- 取引銀行
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- 西日本シティー銀行宇佐支店
- 大分銀行宇佐支店
- 豊和銀行宇佐支店
- 商工組合中央金庫大分支店
- 日本政策金融公庫大分支店
組織図
有資格者数
管理技術者
鉄骨製作管理技術者 | 1級 | 5名 |
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溶接管理技術者(WES8103) | 1級 | 1名 |
建築鉄骨製品検査技術者 | 5名 | |
建築鉄骨超音波検査技術者 | 2名 | |
非破壊検査技術者 | レベル2 | 2名 |
建築高力ボルト接合管理技術者 | 1名 | |
溶融亜鉛めっき高力ボルト接合技能者 | 3名 | |
エンドタブ溶接管理技術者 | 1名 | |
エンドタブ溶接技能者 | 1名 | |
建築施工監理技術者 | 1級 | 2名 |
溶接技能者
アーク溶接技能者 | A-2F A-3F |
7名 1名 |
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半自動溶接技能者 | SA-2F SA-2H SA-3F SA-3H SA-3V |
4名 1名 9名 5名 4名 |
AW検定溶接技能者 | 鋼製タブ(F/H) 代替タブ(F/H) |
2名 2名 |
AW検定ロボット溶接オペレーター | 1名 |
沿革/変遷
会社沿革
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清松組を設立し現場鉄工作業の請負業を始める
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清松鐵工に社名を変更し本社を現住所に移転
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本社工場建設
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鋼構造物工事業の登録
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建築工事業の登録(鳶土工・塗装も同時に登録)
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鋼構造物製作認定工場Rグレードを取得
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清松鉄工所に社名を変更し中津工場を新設
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清松総合鐵工株式会社に社名を変更し法人化する
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本社工場(第1工場)建設
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本社工場(第2工場)増築
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鋼構造物製作認定工場Mグレードに昇格
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旋回型溶接ロボットの導入
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柱大組溶接ロボットの導入
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第3工場を増築し中津工場を閉鎖し本社工場に集約
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製品置場(1,000㎡)を近隣地に設置
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材料置場(500㎡)を隣地に設置
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社屋事務所増築
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柱大組溶接ロボット及び旋回型溶接ロボットを増設
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製品置場(650㎡)を本社工場に増設
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本社工場第4工場増築
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製品置場(1,400㎡)を近隣地に増設
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5tクレーン2基および4.8tクレーン2基を増設
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柱大組溶接及び旋回型溶接ロボットを最新型に入替
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新社屋及び第5工場を建設/加工機械を最新型に入替
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資材置場(1,200㎡)を新設(4.8tクレーン2基)
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国土交通大臣認定工場Hグレード取得
航空写真で見る会社の変遷
昭和42年頃
初代社長夫妻2人だけで
当地で鉄工所を設立
今から遡ること50年前の3月28日に初代社長夫妻の2人だけで、機材と云えばガス道具とエンジンウェルダーのみで朝から夜中まで真っ黒になって働いて現在の当社の基礎を築きました。
昭和45年頃
旧本社工場建設
この頃に旧本社工場を現在地に建設し、従業員も数名ですが雇入れ鋼構造物工事業の登録をし、やっと鉄工所らしくなって参りました。
昭和56年頃
旧第2工場建設
この頃に旧第2工場を建て増しして従業員も15名ほどになり、売上高も1億を超えて決して楽な営業ではありませんでしたが、希望を感じて一生懸命に働いていたころです。
昭和61年には鉄構工業会の立上げメンバーとなり、鋼構造物製作認定工場Rグレードを取得しています。
平成16年頃
工場建替(現在の第1工場~第3工場)
この頃はバブル景気で当社の業容も飛躍的に拡大しました。
平成元年に社名を清松総合鐵工株式会社に変更、平成3年に工場を建替して第1工場を建設、平成4年に第2工場を建設、平成5年には鋼構造物製作認定工場Mグレードに昇格。
また、平成7年から8年にかけては、県下でもいち早く溶接ロボットを導入し、平成8年には第3工場を建設しました。
平成18年頃
近隣地に製品置場(1000㎡)を新設
この頃世間はバブル崩壊後の大不況。幸いにもロボット等の機械化に舵を切っていた当社は、低価格に対する耐性が整っていましたので鉄骨の量産に活路を求めていました。
その結果製品置場が足らなくなり、工場から少し離れていて不便でしたが近隣地に製品置場を新設致しました。
平成19年頃
隣地に材料置場(500㎡)を増設
この頃はまだまだ不景気の真っただ中でしたが、「隣地はたとえ飯を喰えなくなっても買うべし」という先代社長の強い希望で購入して500㎡程度の材料置場を増設しました。
後にそのまた隣地の購入ができ、第4工場の増設できたのもこの時の先代社長の強い希望のお陰でした。
平成22年頃
社屋増築
(応接社長室・現寸室を増築)
この頃は平成20年9月に起きたリーマンショックの影響から低迷を続けた景気からなかなか脱却できずにいた経済状況の中でありましたが、来るべき時代に向けて投資を続け社員を増やしてきた結果、手狭になってしまったので平成22年に社屋を増築しました。
平成26年頃
第4工場建設
この頃は長かった不況も平成24年に始まったアベノミクス効果も徐々に出てきて、やっと出口が見えだした頃です。
鉄骨業界は仕事の量だけでなく単価も急激に回復して、当社も過去最高の増収・増益を継続できるようになり、平成25年には最新型溶接ロボットを2基増設、さらに平成26年には650㎡の製品置場を増設、同年第4工場も新設しました。
平成27年頃
近隣地の製品置場を拡張整備
(1400㎡を増設)
近隣地にあった製品置場の隣地を購入することができ、この頃に製品置場を拡張整備いたしました。
門型クレーンも増設して製品も作り置き出来るようになり、工場も5tクレーン2基 4.8tクレーン2基の計4基を増設して、最初に設備した溶接ロボットも全て最新型に入れ替え、大規模鉄骨にも対応できるようになりました。
平成29年頃
社屋および第5工場建設
当社も創立50周年を迎え、記念事業として取り組んだ新社屋および第5工場も新設することができました。
第5工場には大型工事のロール材受入を想定した材料置場(1400㎡)を併設し、さらに大規模鉄骨にも対応できるようになりました。
この頃国土交通大臣Hグレード認定工場に昇格しました。